六年生九月スタートからの合格
この春から長男が南山中学校男子部に通います。これから受験をされる方に少しでも参考になればと思い、私達の体験を書かせていただきます。
〈受験のきっかけ〉
息子が受験を考え始めたのは、六年生の夏です。それまでは、週五日サッカーとフットサルをやっていて、勉強とは無縁の生活をしていました。送迎の都合により、中学ではクラブチームではなく、部活に入ることになりましたが、「それならサッカー部の強い中学校に行きたい」と言ったのが、受験をするきっかけでした。
他の受験生は何年もかけて勉強をしている中、九月に入会した時の息子は、小春日和を「こしゅんにちわ」と読み、「つるかめ算って何?」というレベルでした。
〈勉強法〉
始めは授業について行くのもやっとでした。そこで、塾の授業+宿題を一とすると、家庭学習はその二倍やるようにしました。これで他の受験生の三倍勉強することになります。スタートが遅い分、冬期講習までにはクラスの皆に追いつけるように、家庭学習では名進研のテキストをひたすら復習していました。
初めて受けた十月のプレ中の偏差値は、算数39、国語48、理科46、社会43でした。とにかく算数を伸ばそうと、テキストの基本・A問題をできるまで何度も解き直しました。速さは特に苦手だったので、六回転しました。
漢字・プレ・過去問(志望校五校×四~六年分)の直しノートを作り、間違えたところを二回以上解き直しました。
苦手な理科は、塾で貰った一問一答を朝食時に私(母)が口頭で出題しました。たった五分でも五ケ月間毎日続ければ、理科だけで十二時間以上できます。
〈伸び悩み期〉
十二月下旬の最後のプレ中では、目標としていたレベルまでは成績が伸びませんでした。偏差値が50を超えたのは、社会だけでした。
息子も焦りを感じていたので、『未来の合格体験記』を書かせました。合格後の視点から、苦手な算数をどう克服したか、点数が伸びない国語の記述を、どう得点源にしたか等を具体的に書かせました。
すると、「基本問題を解きまくる」「構成を丁寧に考える」と、息子自身で何をしたら良いか気付いたようでした。
〈直前期〉
サッカーもフットサルも十二月まで続けていたので、受験勉強に専念できたのは冬期講習からでした。
冬休み中は、冬期講習・正月特訓+家庭学習で、毎日十二時間以上は勉強していました。
大人から見れば、十二歳の子が勉強漬けで可哀想だと思いますが、この時期の受験生のやる気と集中力は驚異的です。
塾に行けば共に志望校を目指す仲間がいて、先生方がものすごい熱量で合格に向けて指導して下さいます。独学では決して得られない経験ができました。
〈受験期〉
三学期が始まると、勉強時間の確保と体調管理に苦心しました。コロナやインフルエンザが流行り始め、正直、学校を休んでくれた方が親としては安心でした。
息子は六年間皆勤賞を狙っていたため、毎日登校していましたが、学校は気分転換になり、かえって良かったのかも知れません。
親の私が一番辛かったのは、第一志望の名古屋中に10点届かず不合格となり、落ち込む息子を見た時です。
どんな結果になっても息子の人生なので、受験中サッカーを続けるか否かも、併願校も全て本人に決めさせてきましたが、もっと口出しすれば良かった……と後悔もしました。
しかし、三日後には第二志望の南山男子の入試が控えています。部屋にこもって落ち込む息子に「しっかりしなさい、まだ何も終わってない。第二志望が第一志望に繰り上がっただけだよ‼」と檄を飛ばしました。
その日だけは大好きな塾を休み、家でひたすら過去問を解きました。入試当日は「合格する力は十分あるから、自信を持って行っておいで」と大きい気持ちで送り出しました。
〈最後に〉
こうして合格体験記に寄稿できるのも、ひとえに新岐阜校の先生方の熱心なご指導のお陰です。
九月からの入会を許可して下さった教室長の後藤先生。算数の楽しさを教えて下さった井亦先生(名古屋中は算数の点数が一番良かったです)。記述対策や家庭学習のアドバイスをして下さった国語の丸山先生。何度も小テストの追試をして社会を得点源にして下さった古田先生。苦手だった水溶液やばねの計算問題を得意にして下さった理科の内倉先生。入試後に遅れて出席した特別講座で励ましの言葉をかけて下さった先生方。
この場をお借りして、心より御礼申し上げます。